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戦後の貧しい生活の中、母の苦労を見て育った誠少年は、人一倍、母想いの子供であった…。

昭和15年8月5日、福岡県山門郡瀬高町に生まれる。
生家は乾物を扱う商店を経営していたが、出征していた父が昭和17年、古賀誠2歳の時、フィリピンのレイテ島で戦死して暗転する。

母は、乾物類を自転車に積んで行商、帰ってからは編み傘作りの夜なべ仕事に精を出す毎日。苦労を一身に背負った母がある日、書類を前に考え込んでいる。

 「何をそんなに考え込んでいるの?」
 「お父さんが死んだので、国が助けてくれるの。」

それは、遺族年金の増額申請書類だった。
時に誠少年は小学5年生、大きくなったら、弱い人を助ける国の仕事をやろうと心に誓ったという。

 「弱者のために、そんな制度があるのか、それでは大きくなったらそんな仕事をやろう。」

まだ漠然とはしていたが、政治というものが大きく人の為になるものだと理解した。


のちに古賀誠は言う、

 「私の政治の原点は、日本を二度と戦争のなどのない平和な国にする事。そして、国を愛し、国を誇りに思うような精神を大事にする政治を行っていくことです。」

そして、昭和54年の総選挙で初出馬し、4,500票差で惜しくも次点に泣きましたが、昭和55年の総選挙で見事にトップ当選を果たしました。

地盤・看板・鞄・何一つ持たない青年の、その政治にかける熱い想いに心動かされた熱烈な支援者の力で、「衆議院議員 古賀誠」が誕生したのです。

古賀誠が幼き少年時代に抱いていた夢が実現した瞬間でもあります。

「一つの力は多くの魂と心を揺れ動かし、地域、そして国を変えることが出来る」という思いが信念になったのです。

衆議院議員としての始めての取り組みは、社会労働委員会での高齢者福祉や老人保険制度でした。

介護の問題や、お年寄りの方々をこれからの社会でどう支えていくのか。戦後の復興をまさに支えてこられたお年寄りの方々に、安心して生活をお送りいただけるような介護、年金制度にしなければならないと考え、高齢者福祉や老人保険制度にはしっかりとした取り組みを行ないました。

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